街に出て、フェミニズムを叫ぶ

3月8日の国際女性デーに合わせて、2019年のウィメンズマーチ東京に参加したときのことを書いたエッセイを公開します。この日が「女性に感謝する日」にとどまらず、「女性」としての経験を共有し、その多様さと複雑さを認め、性差に基づくあらゆる差別に対して社会全体として向き合う日になってほしいと思います。

 

 

街に出て、フェミニズムを叫ぶ

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2019年3月8日、とても寒い夜だった。私はウィメンズマーチ東京にボランティアとして参加していた。マーチは国際連合大学前からスタートして表参道を通り、原宿から渋谷駅へと進み、またスタート地点へと戻るという渋谷の街をぐるりと一周するコースだ。私の当日の役割先導車に乗り、スピーカーでデモのコールをすることだった。デモの参加は初めてだったこともあり、重大な任務とんでもく焦った。

デモ行進の途中、緊張と寒さで手足はほぼ感覚を失っていた。車には運転手の男性と二人きりだった。先導車は隊列の数メートル先にいて、車の窓を開けているものの車上のスピーカーからは大音量で音楽が流れていたので後方のシュプレヒコールはあまり聞こえな。「孤独」である。加えて、とにかくしっかり任を務め上げねばと必死で、記憶があまりない。(天性のリズム感の無さにより、テンポが合っていないと指摘されたことは覚えている。)正直、かなり大変だった。マーチ後の集会ではほとんどぐったりしていた。

 

しかし、後から思い返すと、東京・渋谷の街に自分の声が響いていたということに驚きと誇らしさを感じる。毎日の生活の中の性差別に対して、それを文字通り大きな声で言葉にして発することは人生で初めてだった

大学でフェミニズム批評を学び、卒業論文フェミニズム美術史で書いた。Twitterでもフェミニストを名乗っていたし、時々友人とジェンダーについて話すこともあった。しかし、ほとんどは書かれた文字ベースで私はフェミニズムに触れてきた。いざ音声として「自分はフェニミストである」と主張することは、いざやってみようとすると難しかったし、抵抗があったことは確かだ。

 

 20歳で選挙権を得てから選挙の際は必ず投票に行っている。それでも自分がデモのような社会運動に参加することは考えていなかった。アメリカや韓国、台湾などのデモの報道を見て、賞賛し羨ましがっている割には自分が街頭に出て声をげるイメージを持っていなかった。声をあげた途端、「自分とは違うだと勝手に線引きしていた。

ウィメンズマーチに参加したきっかけは、学部を卒業するタイミングで自分の矛盾に気がついていながらもう何年も運動としてのフェミニズムに参加を躊躇っていたのをやめようという考えだった。ベル・フックスは『フェミニズムはみんなのもの』の中で、フェミニズム運動の道は一つではないと言う。どこでも自分のいる場所で活動できる、と。それは、自分のいる場所以外の運動を知り、尊重することで成り立つはずだ。だから、連帯して、街を歩こうと思った。

 

私の参加した年は、2018年にお茶の水女子大学トランスジェンダー女性の受け入れを発表してから初めてのマーチであり、Twitterではトランスジェンダーへの偏見、差別が横行していた。準備段階でトランスジェンダー差別を扇動するようなプラカードを持ってマーチに参加することを表明している人がいるという情報もあった当事者の感じる恐怖に比べれば私のものなど取るに足りないが、それでもその場に居合わせることを考えたら怖気づいた。恐怖は分断の格好の道具である。恐怖は壁を作らせ、手を取れるはずだった者同士を憎悪や、はたまた近づかないでおこうと無関心に陥らせる。

映画『パレードへようこそ(原題:PRIDE)』には、「自分より遥かに巨大な敵と闘っているときにどこかで見知らぬ友が応援してると知るのは最高の気分」という台詞がある。マーチにボランティアとして少しだけ運営に関わり、私が知らないだけでさまざまな人たちが長い時間をかけて性差別の問題と戦っていることを目の当たりにした。実行委員会の代表は「マーチの参加者と一緒にコールをしたり、参加者それぞれのプラカードを見ることで、それが社会的な構造や差別・暴力の問題であることに気がつくことができるはずだ」と語っていた。私たちは、自分のために、そして見知らぬ誰かのために街を歩き、声をあげる。これを読んだ人も、是非フェミニズム運動に参加してくれると嬉しい。